2008年10月20日
西丸震哉と山の人
30代の頃だったか、強烈な旅志向となった頃があり、山や旅というテーマの本を
読み漁ると”西丸震哉”という先生の本に行き当たった。
彼をwikiると、日本人の食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家とあるのだが、
飄々としていて、山好きで、それよりもっと人が好きという彼は日本国内国外問わ
ずに探検をするのだが、その魅力は本のタイトルにも現れておりました。
確か「山小屋つくった猫も来た」などという本にめぐり合い、その著書「山だ原始人
だ幽霊だ」とか、「砦なき社会―わが野性的サバイバル思考」だとか「西丸式山遊
記」などを読んだ。
今も覚えていることがあり、彼の本の中のどこかに、「山の人」の生活を書いたもの
があったことを記憶している。
じつは、一昨日静岡県岡部町の奥へ行き、そのまま静岡の奥まで走ると、誘われ
るままに安倍川水系から大井川水系を経て、天竜川水系へと山のドライブをしてきた。
祖先は浜北から出ているのだが、山へ強く誘われるのは、今や平野の人となった
自分にも山の人の血が流れているのではとも思うのである。
山の人とは、生涯山のみで暮らしていた人を指している。生活の基盤を山とし、平
野に降りないで暮らしていた山の人という種族の話しである。
西丸さんは言う、どの山に暮らす人も隣山、その向こうの山と交流をしていた。
だから今も山奥に行ってもその間を繋ぐ道路があるのだというのである。
毎回の山ドライブの時に、かなり奥と思われる山へ行ってもその部落の道は隣の
山を越えた部落まで続き、やがては水系まで越えて繋がっていく。
ドライブする我々には便利ではあるのだが、なぜ山沿いに平野を目指すだけでは
いけなかったのかと考えれば、山の人たちは確かにいたのではと思うのである。
「海と山とどっちが好き?」、恋人たちが知り合ってまもなく聞くドライブ先を決める
ように海か山のどちらが好きかと聞かれたらちょっと考えてしまう。
強く山に惹かれながらも、今は海沿いに住み、平野を暮らすところにしている。
それでも自然の中を歩くのが好きで、山を見れば憧れてどこまでも入り込んでい
ってしまい、木の実を見つけては喜んでいる。
山の人、平野の人、海の人が暮らしていた時代を西丸さんが語っていたように
記憶している。
貝塚ができるほど海を暮らしの場とした海の人、田を耕し米を植え、野菜を植え
た平野の人、狩猟を生業とし山の幸を集めた山の人。
こんな話しは大きなロマンである。
幾世代か前、山の小道を荷を背負って歩き、向こうの山を越えて行き、天竜川水
系から大井川の村にたどり着いた男たち女たちが歩んだ道は、やがて今の道に
なった。こういうことを体系的に調べたら、面白いと思うのである。
るままに安倍川水系から大井川水系を経て、天竜川水系へと山のドライブをしてきた。
祖先は浜北から出ているのだが、山へ強く誘われるのは、今や平野の人となった
自分にも山の人の血が流れているのではとも思うのである。
山の人とは、生涯山のみで暮らしていた人を指している。生活の基盤を山とし、平
野に降りないで暮らしていた山の人という種族の話しである。
西丸さんは言う、どの山に暮らす人も隣山、その向こうの山と交流をしていた。
だから今も山奥に行ってもその間を繋ぐ道路があるのだというのである。
毎回の山ドライブの時に、かなり奥と思われる山へ行ってもその部落の道は隣の
山を越えた部落まで続き、やがては水系まで越えて繋がっていく。
ドライブする我々には便利ではあるのだが、なぜ山沿いに平野を目指すだけでは
いけなかったのかと考えれば、山の人たちは確かにいたのではと思うのである。
「海と山とどっちが好き?」、恋人たちが知り合ってまもなく聞くドライブ先を決める
ように海か山のどちらが好きかと聞かれたらちょっと考えてしまう。
強く山に惹かれながらも、今は海沿いに住み、平野を暮らすところにしている。
それでも自然の中を歩くのが好きで、山を見れば憧れてどこまでも入り込んでい
ってしまい、木の実を見つけては喜んでいる。
山の人、平野の人、海の人が暮らしていた時代を西丸さんが語っていたように
記憶している。
貝塚ができるほど海を暮らしの場とした海の人、田を耕し米を植え、野菜を植え
た平野の人、狩猟を生業とし山の幸を集めた山の人。
こんな話しは大きなロマンである。
幾世代か前、山の小道を荷を背負って歩き、向こうの山を越えて行き、天竜川水
系から大井川の村にたどり着いた男たち女たちが歩んだ道は、やがて今の道に
なった。こういうことを体系的に調べたら、面白いと思うのである。
Posted by もとお@SEAES at 10:07│Comments(0)
│ブログライターズデン