2008年10月04日
応援仲間のスタジアム
ジャパンラグビートップリーグ開幕年の2003-2004、年が改まった1月17日の
ヤマハスタジアムは少し手馴れたレポートを作った試合でした。
ヤマハのトップリーグに及ぼした初期の影響は大きなもので、サッカーの伝
統からフラッグを振り、「GOGOヤマハ!」などとコールする応援は他のラグビ
ーチームの応援には見られなかったことで大きな特徴となりました。
相手チームを圧倒する「応援」を受けるヤマハは大きなアドバンテージを持つ
チームとして相手チームを圧していたのです。
初期の頃の取材目的は(その後も心は変わらない)、ヤマハの応援団の力
でした。
企業チームと言えば社員応援団かとおもいきや、その熱さは社員である、な
しなど問題にしていません。
バックスタンドに集まった応援団は、加藤晃久応援団長の指揮のもと声と旗
で応援する。
彼らは有志でYRSC(ヤマハラグビーサポーターズクラブ)を結成し、現在まで
続く「GOGOヤマハ」「トライトライジュビロ」という応援コールを生み出した。
後に加藤応援団長と話すと、どう応援をしようと内山勝チームスタッフと話し合
い、毎回新しい方法を考えて応援の”トライ”を続けていたのです。
ラグビーの応援は緩急をつけ、時にまったく鎮まることをルールとしています。
敵味方に関わらず、ゴールキックなど選手が集中する時にはラグビー場は鎮
まり、静かにその結果を待つことをマナーとしています。
どの組織も同じ、初期に根付かせたマナーは今も受け継がれてヤマハ応援団
の力としていることがどの試合場でも「青い応援団」が凄いと言われることに
繋がっています。
メインスタンドには翌年入団し貢献したレオン・マクドナルド選手が観戦に来て
おりました。
彼のジェントルな正確、チームへの貢献は、後にファンとのある素敵な一日を作
るのですが、それはまた書くことといたしましょう。
この試合のレポートは熱き応援の心がテーマになりました。
ヤマハを応援する心はイチロー的こころと共に書いています。
しなど問題にしていません。
バックスタンドに集まった応援団は、加藤晃久応援団長の指揮のもと声と旗
で応援する。
彼らは有志でYRSC(ヤマハラグビーサポーターズクラブ)を結成し、現在まで
続く「GOGOヤマハ」「トライトライジュビロ」という応援コールを生み出した。
後に加藤応援団長と話すと、どう応援をしようと内山勝チームスタッフと話し合
い、毎回新しい方法を考えて応援の”トライ”を続けていたのです。
ラグビーの応援は緩急をつけ、時にまったく鎮まることをルールとしています。
敵味方に関わらず、ゴールキックなど選手が集中する時にはラグビー場は鎮
まり、静かにその結果を待つことをマナーとしています。
どの組織も同じ、初期に根付かせたマナーは今も受け継がれてヤマハ応援団
の力としていることがどの試合場でも「青い応援団」が凄いと言われることに
繋がっています。
メインスタンドには翌年入団し貢献したレオン・マクドナルド選手が観戦に来て
おりました。
彼のジェントルな正確、チームへの貢献は、後にファンとのある素敵な一日を作
るのですが、それはまた書くことといたしましょう。
この試合のレポートは熱き応援の心がテーマになりました。
ヤマハを応援する心はイチロー的こころと共に書いています。
Posted by もとお@SEAES at 10:12│Comments(0)
│ヤマハラグビー部