2008年10月02日

2003の村田亙

2003の村田亙

ヤマハラグビー部と取材という立場で過ごした5シーズンが終わり、少し格好を
つけるならば静かに引退をした。
選手並にそう言ってみたいと一人引退を宣言した。

取材において自分の立場は現場である。写真を撮ることで選手をチームを応援
するファンの期待に応えていたつもりの男は5年で460GBの写真を撮った。

今回から”イチロー的こころ”とスイッチしながらその写真を使って熱き選手、チー
ムスタッフ、応援の日々を綴ってみようと思います。

2003年トップリーグ開幕イヤーの12月7日、サッカーラグビー共用球場としての
こけら落としがヤマハスタジアム(旧名ジュビロスタジアム)で開催された。

見るのも応援も初めての自分はそれでも既に仕事にしていたカメラレポートをし
ようとカメラを持ち込み、初めてのラグビー試合に臨みました。

2003の村田亙

会場にファンを向かえるスタッフの皆さんのアイデアで、ゲート前広場にはワン
コインランチのテントが並び、その中から弁当を買ってスタジアムに入った。

今もヤマハの応援団はどのスタジアムでもバックスタンド自由席に席をとる。
その日は知らずにメインスタンドの自由席に座ったのでした。

写真は試合中、スタンドの上から”見もしらぬ”選手たちの試合を写した。
その後、ファンサイト取材では4年に渡りお世話になった村田亙(むらたわた
る)選手の姿があった。

事前にチームスタッフから「ラグビー選手にはどんな体格でもなれる」と聞いた
とおり、小柄な村田選手が大男の中でパスを配っていた。

密集の中にはその後キャプテンとなる木曾選手、今は引退したフォワードの
中越選手が見え、後ろに展開する選手の中に、大きな足のマットソン選手、
向こうには移籍し今も近鉄で活躍する四宮選手がいる。

ラグビーとは何であるのか全くしらないでスタジアムにいた日から試合レポート
を通じて少しづつラグビーの楽しさを知っていくのでした。

まだこの時は選手たちとの生活が5シーズンにも及ぶなど思いもしていなかった
のでありました。

ヤマハを応援する心はイチロー的こころと共に書いています。


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この記事へのコメント
2003年・・・
懐かしいですね・・・

私とヤマハの出会いは「ヤマハラグビースクール」。

何をしても続かず、面倒くさがりの長男は、スクールだけは続けております。

今は、中学三年。
「ラグビーのある高校へ行きたい。」
と、自分から進んで勉強もするようになりました。

親にできない事をスクールで教えて頂けました。

これから、少しずつですが「恩返し」ができれば、
と考えております。
Posted by daidai at 2008年10月03日 11:47
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