2009年01月08日
ブログプライバシー
「ブログ」と一口に決め付けられるほどこの世界は狭くなく、さまざまな人がそれぞれの
考えで書いているものであれば、そこにはルールは当てはめられない。
それほどにブログとは巨大化し千差万別となっています。
あるところで「ブログで特定される人は危ない」などという説を読めばなるほどとも思う
のだが、個人ブログを別にしてビジネスで取り組むブログでは細かいプロフィールが掲
載されていなければ成り立たず、また役に立つこともない。
また個人であってもある目的をもって書くのならばここにもプライバシーのある程度は
掲載されるものとなる。
プライバシーとはブログの成り立ちの中で会社、個人が判断して掲載するものである。
会社や事業で使うブログには電話番号まで掲載されているから、掲載内容について
簡便に電話を使って問い合わせることができる。
もちろんそれを狙って掲載しているのだから、使われてこそなのである。
では個人ではどうか、まるで誰かわからない安全という考え方もあるのだが、そこには
記事への共感は集まっても、硬く閉じられたプライバシーを越えた交流は生まれにくい。
このあたりのプライバシーの程度のニュアンスが難しいのである。
最近はブログについて書くとき、話すとき、適合する人の為だと思うようにし始めている。
とても全体に対して書くことはできず、世間となったブログに一定のルールは存在しえな
いのである。
個人が目的もなく、姿も連絡先も掲載した時に生まれる危険とはなにか
危険を冒しても得られるものとはなにか
会社ならば危険ではないのか、ここには性悪説と性善説のとらえようがある。
じつはこう顔まで掲載したブログについて心配はしていないのは、得られる善のほうが多
いと判断しているからなのです。
しっかりと自分を表し、隠すこともなく書いているときに恥ずべきものはなし。
そういうところになんらかの攻撃などはこないものであると判断しています。
ブログとは綴っていくものです。
その綴ったものより大きな攻撃を受けることなどはありえず、またどちらが正しいかの判断
は明らかである。
ときどき、心ないコメントをもらったという相談をいただくのだが、ブログ主が綴った記事の
量と、ごくたまに書かれたコメントの量を比べればどちらをとるかは明快である。
ブログは性善説で続けるべきことであり、怖がって腰がひければ攻められるものとなる。
毎日の仕事のように、前に向かって書きだすばかりである。
Posted by もとお@SEAES at 07:10│Comments(0)
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