2008年10月08日
走り屋であること
近くでは北京オリンピックで見たアスリートたちの戦う筋肉を見て美しいと誰
もが思ったように、走り、跳び、戦う筋肉たちは最も美しいものである。
戦う為に作られた筋肉の躍動を見る時、それがスポーツの為だと知っても、
誰もがその完成された肉体美に感動する。
日産スカイラインは日本車のアスリートである。
語弊があることを承知で書けば「走る戦い」の為に生まれ、他を犠牲にしても
走ることを目的とされる稀有な存在であると言えるのだ。
どの次代のスカイラインを見ても、それはリラックスしてジョギングすることを
好まない戦闘的な体躯を持っている。
オリンピック級の競技会に出場する為に開発された例えばレーザーレーサー
のようなウェアを身につけてスタートを待っているのである。
じつはこの車の経験がないのは、そんな戦闘態勢が苦手なスポーツ(走り)
音痴だからであるのだが、スカイラインとは乗らないものにとっても、街を走り
抜けるアスリートであろうと容易に判断がつく車なのである。
彼は走りの伝統を身に負っている。柔道ならあの、陸上ならあそこのという
伝統あるチームに所属し、多くの先輩たちの声援を受けている。
勝つことを期待され、ある時代の選手のパフォーマンスが足りないと思われ
たらあらゆるコーチがショップに持ち込んでたちまち最高の技術とテクニック
を教えられるのである。
スカイラインが走ってくれば、道を譲るがいい。
彼は走りぬけることを目的としていて、流すような車でその道を防いではいけ
ないのだ。
常に表彰台に上り、強きライバルをけん制しつつもメダルをもらうアスリートで
あり続けること、これがスカイラインとして生まれた車の宿命である。
走ることを宿命づけられた車を駆る人は共に走りつづけるコーチである。
その二人には常人にはわからない関係が作られているのである。
音痴だからであるのだが、スカイラインとは乗らないものにとっても、街を走り
抜けるアスリートであろうと容易に判断がつく車なのである。
彼は走りの伝統を身に負っている。柔道ならあの、陸上ならあそこのという
伝統あるチームに所属し、多くの先輩たちの声援を受けている。
勝つことを期待され、ある時代の選手のパフォーマンスが足りないと思われ
たらあらゆるコーチがショップに持ち込んでたちまち最高の技術とテクニック
を教えられるのである。
スカイラインが走ってくれば、道を譲るがいい。
彼は走りぬけることを目的としていて、流すような車でその道を防いではいけ
ないのだ。
常に表彰台に上り、強きライバルをけん制しつつもメダルをもらうアスリートで
あり続けること、これがスカイラインとして生まれた車の宿命である。
走ることを宿命づけられた車を駆る人は共に走りつづけるコーチである。
その二人には常人にはわからない関係が作られているのである。
Posted by もとお@SEAES at 00:23│Comments(2)
│クルマっちゃうな
この記事へのコメント
「走り屋」っていい響きですね。
今から20年ぐらい前
浜松でも「石を投げれば走り屋に当る」というくらい多かったですね。(自分も『自称』ですが・・・)
当時AE86に乗っていた私、スカイラインは憧れでもあり「犯してはいけない聖域」のような気がしていました。
「一人前になったらGT-R」
本気で想っていたのを思い出しました。
今から20年ぐらい前
浜松でも「石を投げれば走り屋に当る」というくらい多かったですね。(自分も『自称』ですが・・・)
当時AE86に乗っていた私、スカイラインは憧れでもあり「犯してはいけない聖域」のような気がしていました。
「一人前になったらGT-R」
本気で想っていたのを思い出しました。
Posted by daidai at 2008年10月08日 08:45
daidaiさん、こんにちは
AEですかいい車でしたね。聖域を持つ車は多く
ありましたね。Z乗りに憧れながらもいすゞ党で通しました。どこまでもスカしていたなあ・・・
AEですかいい車でしたね。聖域を持つ車は多く
ありましたね。Z乗りに憧れながらもいすゞ党で通しました。どこまでもスカしていたなあ・・・
Posted by シイズな二人 at 2008年10月08日 14:53