2008年10月06日
くるま間通信
今から20年くらい前の話になるだろうか。
携帯電話がこれだけ普及するとは夢にも思ってなかった時代。
私は地元の学校に通っていた。
その時、同級生の間でにわかに流行ったのがパーソナル無線だった。
無線と言えばアマチュア無線しか無い時代に無免許で簡単に開局出来るという事で、
とても意外の多くの愛好家がいた事も事実だろう。
そんな私もパーソナル無線にすっかりとはまっていった。
いま、こんな仕事をしているが、
源泉はそのあたりのあるのかなと思ったりもする。
というのは、パーソナルやアマチュアを利用している方ならおわかりだと思うが、
CQ(群番:00000)という不特定多数の方と交流を持つことが出来る機能を多用し、
ありとあらゆる方と話をしたりダイレクト(今で言うオフ会)と言って実際にあって話をしたりした。
最初は全くわからずに使っていたのだが、次第に色々な方とお会いしていくうちに、
かなり閉鎖的な世界なんだとい事を理解した。
でも、パーソナルという名前の由来通り、
手軽に人と交流が出来る感じは忘れられずに、かなりCQ通信をしていた事を思い出す。
実際、まだ実家には写真のPQ-13が存在しているので、
今でも電波を出そうと思えばいつでも出せる。
しかし、今はみんな携帯電話に移行しているだろうから、
無線機自体を持っている人が居ないだろうな。
幻のG2やG3、G5の名機を作り出した信和電気も今は無いのだ。
儚い時代だったのかもしれないが、その当時から色々な方と話をしたりするのが、
本当に楽しかったし勉強にもなった。
まだ学生だったので、自宅にも無線機を置いて、
学校が休みの時、渋滞中の方達と良く話をした。
それが毎日ともなると、ラジオのDJみたいな感じだった。
#しゃべらないと心配してくれている人も居たものだ。
そういう良いコミュニティーを今はネットを使って表現出来ないか模索中である。
つづく。
いま、こんな仕事をしているが、
源泉はそのあたりのあるのかなと思ったりもする。
というのは、パーソナルやアマチュアを利用している方ならおわかりだと思うが、
CQ(群番:00000)という不特定多数の方と交流を持つことが出来る機能を多用し、
ありとあらゆる方と話をしたりダイレクト(今で言うオフ会)と言って実際にあって話をしたりした。
最初は全くわからずに使っていたのだが、次第に色々な方とお会いしていくうちに、
かなり閉鎖的な世界なんだとい事を理解した。
でも、パーソナルという名前の由来通り、
手軽に人と交流が出来る感じは忘れられずに、かなりCQ通信をしていた事を思い出す。
実際、まだ実家には写真のPQ-13が存在しているので、
今でも電波を出そうと思えばいつでも出せる。
しかし、今はみんな携帯電話に移行しているだろうから、
無線機自体を持っている人が居ないだろうな。
幻のG2やG3、G5の名機を作り出した信和電気も今は無いのだ。
儚い時代だったのかもしれないが、その当時から色々な方と話をしたりするのが、
本当に楽しかったし勉強にもなった。
まだ学生だったので、自宅にも無線機を置いて、
学校が休みの時、渋滞中の方達と良く話をした。
それが毎日ともなると、ラジオのDJみたいな感じだった。
#しゃべらないと心配してくれている人も居たものだ。
そういう良いコミュニティーを今はネットを使って表現出来ないか模索中である。
つづく。
Posted by もとお@SEAES at 15:43│Comments(0)
│ノスヒロ