2008年11月04日
ブログのココロ
ある青春映画を見ると、一目ぼれした青年が女性を追いかけて心を打ち明けて
いる。
「どうしてつきまというの」、「君に一目ぼれしたからさ」、「私のこと何も知らない
のに」、「不思議だけどつきあって欲しいんだ」と言う。
人の心とはこういうもので、ある日突然気になったり、なにかのきっかけで好き
になったりもする。これはある人の言葉を借りれば「心が心を探している」から
である。
仕事も遊びもパソコンの前という暮らしをしていると、毎日多くのブログを読む。
(もちろん書くこともする)。
ここで読んでいるものは、全て人の心だといえる。
人の行動は人の数だけあり、昨日何をした何を食べたというところを読んでい
たらキリがないのだが、心が書かれていれば、ピタッとそこで読んでいる目が
とまり、もう一度行動+心が書かれているところを読む。
行動と心、これも人の数だけ数があるのだが、ブログというものは便利なもの
で丁寧に書かれていないものは、心がないことにすぐ気づくことができる。
それは読みきらずに捨てて、心を探しに行く。
心とは「共感」であったり、「興味」をおこす力になる部分である。
静かなるときに、騒がしいのを好まない時がある。静かゆえに賑やかを求め
る時がある。
食べ物に、つくる人の心を見つけたり、食べる人の感謝の心を知ることもあり、
仕事スタイルに共感を持つことがあったり、応援したくなる時もある。
いずれブログとは心が書いているものであるが、心を書ききれない不自由な
ものに出会うと少しもったいないとも思うのである。
事象(行った、食べたなどさまざま)+心(感謝した、感動した、誰かにおしえ
たくなった)ことさえ書けば心とは表せるのだろうと思うのです。
全員がテレビレポーターになる必要はないのだが、反応が「おいしい、うれし
い、すごい」だけではつまらない。
どう響いたのかを知りたい、書かれていなければ残念だと思うのである。
たらキリがないのだが、心が書かれていれば、ピタッとそこで読んでいる目が
とまり、もう一度行動+心が書かれているところを読む。
行動と心、これも人の数だけ数があるのだが、ブログというものは便利なもの
で丁寧に書かれていないものは、心がないことにすぐ気づくことができる。
それは読みきらずに捨てて、心を探しに行く。
心とは「共感」であったり、「興味」をおこす力になる部分である。
静かなるときに、騒がしいのを好まない時がある。静かゆえに賑やかを求め
る時がある。
食べ物に、つくる人の心を見つけたり、食べる人の感謝の心を知ることもあり、
仕事スタイルに共感を持つことがあったり、応援したくなる時もある。
いずれブログとは心が書いているものであるが、心を書ききれない不自由な
ものに出会うと少しもったいないとも思うのである。
事象(行った、食べたなどさまざま)+心(感謝した、感動した、誰かにおしえ
たくなった)ことさえ書けば心とは表せるのだろうと思うのです。
全員がテレビレポーターになる必要はないのだが、反応が「おいしい、うれし
い、すごい」だけではつまらない。
どう響いたのかを知りたい、書かれていなければ残念だと思うのである。
Posted by もとお@SEAES at 07:07│Comments(0)
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