2008年09月23日

Zは究極のZ

Zは究極のZ

何回か前の記事につながり、究極の車である「Z」を書いてみる。

ジャガーEタイプにつながるロングノーズショートデッキはトヨタにおいては
あの美しい2000GTに取り入れられたが、いかんせん高価過ぎたようで
庶民に手が届くものではなかった。

日産はそこでフェアレディーにその手法を取り入れて実現した。
アメリカ輸出を想定した名前までフェアレディーであるから、かの地では
Zカーとして歓迎された。
もちろん当時の日産は”DATSUN(ダッツン)”と呼ばれていたから呼称
はDATSUN-Z(ダッツンズィー)である。

盛り上がる日本のモータリゼーションは輸入から輸出に変わる頃、Zは
日産のスポーツイメージを高めるフラッグシップとして戦略的に輸出され
た。

今でもかの地には熱狂的な初期Zファンがいると聞く。
さらに現在のZまでその人気の先にアメリカの顧客の心をつかむように
デザインされている。

実際に国内でもZは究極の車として存在した。

当時の”スポーツカー”という呼び方は今も存在するが、Zは他メーカー
を寄せ付けない唯一の存在として君臨しつづけながらも、そうは選択
されない意味でも究極と言えたのです。

車が若者のものであった頃、唯一の2シーターのZは選択の究極であ
りえた。日本には同じサイズの中でファミリーカーが普及していった頃
の話である。

みなさんはZの”お鼻が長いのね”なボンネットの先に立ったことがある
でしょうか
ロングノーズショートデッキという言葉は知りつつも、これだけ長い”お
鼻”を持つ車は他に例を見なかった。

取り回しからしても直線を走り続けるアメリカ向けで、決して今より道路
が整備されていない路地だらけの日本では運転しやすかったとは思え
ない。

お鼻が長く高いのはやはりかの国の人たちなのである。

この究極の車は愛情と尊敬をこめてS30(エスサンマル)と呼ばれる。
これに乗ったか、見たかの話はあっても、所有したとなればその男の
値打ちは上がった。

Zは究極の車であるのだから、男も「半端」ではいられなかったのだ。

Z乗りは男の究極である。 ゆえにそんなにはいなかった。
もちろん、軟弱な自分程度では乗りこなすことはできなかった。

お鼻が長いZの前に立って、すごいなあと眺めているだけなのである。


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この記事へのコメント
私の通っていた高校の先生が「240Z」乗っていました。

マルーンのピカピカのボディーは今でも憧れます。

私はそれから「L型」の魅力に取り付かれました。
Posted by daidai at 2008年09月23日 07:45
daidaiさん、おはようございます。
マルーンという色、あの時代を表す色ですね。
オーバーフェンダーの240ZG懐かしく思いますがときどき見かけると惚れ惚れしてしまいますね。
Posted by シイズな二人シイズな二人 at 2008年09月24日 08:34
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