2008年10月02日

地域に生きること

地域に生きること

生まれも育ちも浜松でござんす。

こういう紹介は美しくもあるのだが、地域を冠すると案外排他的になることを
気遣わなくてはならない。

今はもっと広域の”地域”や”生活圏”の中で暮らし、仕事はさらに広いエリア
を対象としている場合も多いのです。

じつはかなりの地元好きである。ただしこれを”浜松”だとあえて言わないとこ
ろに広がりを期待したいと思っています。

車社会は生まれた町を大きく越えて周辺と結ぶ。浜松都心という言い方をす
れば浜松ローカルではよいのだが、隣町を捨ててしまう。
隣町にはまた都心があり、中心街があり、そこから見れば浜松も周辺地域
となることに気づくべきである。

今まで多くの場でそういう体験をした。

その町を興すことは美しいことであるが、いずれ一つの町で成し遂げられる
ものでもなく、互いに周辺と中心を用いあって人を交流させなければ何事も
為されないのである。

浜松のSEAESです。これは正しいが、浜松にあるSEAESくらいでよく、浜
松から来ましたで充分である。

標語スローガンなどに使われるように、地域ばかり連呼すれば案外に排他
的になる。 言わなくても体は表すのである。

「浜松のみなさんこんにちは、その他の地域の人もよろしく」ではいけない。

地域に行き、何かをして、何かを伝える時に既に「地域」を背負っていること
を意識すべきである。

町興し、村興ししかり、大きく広い我々の行動範囲の中までを巻き込むこと
を意識するだけで「ウェルカム」な心となれるのである。

浜松には俗称「浜松まつり」があるが、これも広域な人が集まり楽しむまつ
りであり公共の言う「浜松」を強調するものでもない。

人と人が集まり、参加する町の為に働く3日間の町ナショナリズムである。
まつりが終わればみんな広域な町に帰って行き、また集まる時を待つので
ある。

ゆえに「凧」、「たこ」と呼ばれるのを好んでいる。

この時代に行政区画である市や「町」で区切った感覚でいるのは陳腐で
ある。

この文章だって、「浜松」から発信していますなどとあえていう必要もないの
は、そんなことは書く人のひとつの前提に過ぎないからである。


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