2008年07月21日

カボチャの心

カボチャの心

今日も暑いですね。 セミが沸き起こるような鳴き方をし、街路樹は真っ黒な
影を作っている。

真っ黒い影を見れば真夏が来た事に気づきます。

夕べはF1ドイツグランプリを見ていましたが、ドラマはやはり起こる。
世界最高峰のレースには想像もつかないことが起こり、我々は少々それを
期待しているところがあります。
一瞬の間に消える数十億のお金に熱狂したりします。

最近テレビが面白くないと思うのは、相当のお金を費やしているにもかかわ
らず同じプロダクションが同じ出演者を出して番組を作っているからだと聞いた
ことがあります。

テレビ局は丸投げで製作プロダクションに番組を企画から任せ、自らは局の
運営に集中する。
ある意味分業ではありますが、番組を放送する局には心がない。
専門集団である製作プロのなすがままとなっている。

出演させる出演者も消費される側にまわり、製作プロにおもねることとなる。

世の中に身内受け、楽屋落ちという言葉があります。
自らの小さな世界の中でのコミュニケーションの中にいて身内の話をする。
これでは周りの人には理解ができません。

もちろん、未だ井戸端会議はありますが、放送という大きなメディアの中では
それはとても醜く見えるのです。

番組に若手芸人が出て先輩芸人を立てる、その先輩に番組で使ってもらっ
ているという番組を見るとき、彼らには先輩を立てるがゆえに、卑屈な心が見
えてしまう。
先輩は言いたい放題、耐えるのは笑われる若手、これは少し考えものだ。

若手はこれから開かれる才能です。 先輩は追われる立場となります。
若手が育てば、またその下に若手が生まれ、また同じことを繰り返す。

ある意味では世の中の縮図ですが、私たちは夢を持つことができない。

先輩とは、若手を伸ばしてあげるもの(あのいじめ方法で伸ばしているといわ
れるか)、より早くたたせてあげるものでありたい。

番組中で「兄さん、ねえさん」などと呼ばれる中堅を見るたびに、油断するなよ
と注意したくもなる。

見る側にすれば、中堅も若手もなく、その芸面白ければ拍手をおくる。
番組の司会になりさがった中堅などは番組のタイトルでしかない。

F1とは違う規模ながら、多くのお金が費やされる番組には心があって欲しい。
若手を育てている先輩、そんなキャラクターがいたら応援もするのだ。

人は番組やドラマに心を求めている。
決して身内の茶番を見たいわけではないのだ。

見る側にとってはどの人も「ひとつの才能」を見せてくれる人とみなしたい。
ならば、呼び捨てもなし、兄さん姉さんもなし、一人の才能を見ることができる
のです。


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