応援仲間のスタジアム

もとお@SEAES

2008年10月04日 10:12



ジャパンラグビートップリーグ開幕年の2003-2004、年が改まった1月17日の
ヤマハスタジアムは少し手馴れたレポートを作った試合でした。

ヤマハのトップリーグに及ぼした初期の影響は大きなもので、サッカーの伝
統からフラッグを振り、「GOGOヤマハ!」などとコールする応援は他のラグビ
ーチームの応援には見られなかったことで大きな特徴となりました。

相手チームを圧倒する「応援」を受けるヤマハは大きなアドバンテージを持つ
チームとして相手チームを圧していたのです。

初期の頃の取材目的は(その後も心は変わらない)、ヤマハの応援団の力
でした。

企業チームと言えば社員応援団かとおもいきや、その熱さは社員である、な
しなど問題にしていません。
バックスタンドに集まった応援団は、加藤晃久応援団長の指揮のもと声と旗
で応援する。

彼らは有志でYRSC(ヤマハラグビーサポーターズクラブ)を結成し、現在まで
続く「GOGOヤマハ」「トライトライジュビロ」という応援コールを生み出した。

後に加藤応援団長と話すと、どう応援をしようと内山勝チームスタッフと話し合
い、毎回新しい方法を考えて応援の”トライ”を続けていたのです。

ラグビーの応援は緩急をつけ、時にまったく鎮まることをルールとしています。

敵味方に関わらず、ゴールキックなど選手が集中する時にはラグビー場は鎮
まり、静かにその結果を待つことをマナーとしています。

どの組織も同じ、初期に根付かせたマナーは今も受け継がれてヤマハ応援団
の力としていることがどの試合場でも「青い応援団」が凄いと言われることに
繋がっています。



メインスタンドには翌年入団し貢献したレオン・マクドナルド選手が観戦に来て
おりました。
彼のジェントルな正確、チームへの貢献は、後にファンとのある素敵な一日を作
るのですが、それはまた書くことといたしましょう。

この試合のレポートは熱き応援の心がテーマになりました。

ヤマハを応援する心はイチロー的こころと共に書いています。
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