空前の写真ブームが続き、大手のカメラ屋さんの駐車場は終日満員
になっている。
デジタル化によって手軽さを手に入れた私たちは携帯電話にもデジ
タルカメラを持つからだれもが写真に親しんでいるのである。
写真を仕事のひとつとするから写真の持つ作品性も撮った人の個性も
読むことができることが楽しめる。
スポーツと同じで走る投げる飛ぶ泳ぐなど誰にでもできることの中に
プロが育ち差をつける。
じつに写真もデジタル処理になっただけで撮るのは人だから撮った
もに個性が出るのである。
写真を語る時にカメラを語ることがあるが、これはあまりいただけない。
じつに年に二度ほども新機種をリリースするメーカーの販売戦略は
持つ人を疲労させる。
カメラを語るぐらいなら撮る楽しみを語るほうがよく、それには撮る
経験を積むべきなのだ。
数年前のブログには今のように写真が多く使われることはなかった。
今や写真に親しんでいる私たちはアングルの工夫をした素晴らしい
写真をブログに多く見ることができる。
文章世界につづき写真表現が加わればブログのメディア性はさらに
高まる。
片やブログに表現するほどの小さなサイズの世界ではポスターほどに
プリントできるサイズの写真を撮るカメラまではいらない。
デジタルカメラはフィルム代が不要な分エコであるのだが、用途に
合わせた選択が望ましい。
オーバースペックのカメラでオーバーサイズの写真を撮り、まだ使える
カメラを捨てるのも愚。
性能より撮る人の気持ちが現れる写真が伝えるものがすばらしいはず。
ギターを弾いている頃、弾いているギターのことばかり聞いて歌を
歌を聞かない人がいた。
歌はギターで決まらず心は楽器で左右などはされないのだ。
写真もカメラのスペックで撮るものではない。
ましてや私たちがブログで心伝える写真なら先にカメラではないのだ。