最終型 EP71 ~第二章~

もとお@SEAES

2008年08月22日 23:19



この車は、私の手元に着た時には既に10万キロを超えていた。

しかし、昭和60年代のTOYOTAは本当に凄い車を作っていた。

ライトウェイトの名エンジンA4G搭載のAE86は未だに人気の車。

でも現存している車で無事故車はあるんだろうか?
謎が多いですが、良い車です。

TOYOTA三兄弟、マークII、クレスタ、チェイサーのGX71なんかも、
完全に時代を作ったセダンでは無いだろうか。

そんな時代の一端を担ったEP71。

その車を平成の時代に乗る事には、それなりのリスクが伴う。

でも、それがまた可愛く思うのが不思議だ。

前回の記事でもかなり手を入れた事を記述したが、
基本方針としては、壊れやすいところは車検で直す。

これがこの時代の車をメンテナンスする時に鉄則だという事を教えて頂いた。

後は、オイルやガソリン、フルード関係などなど。
とにかく最高のモノを出来るだけ使ってあげようと思ってました。

また添加剤なんかも頻繁に入れていました。

そんな車と、色々なところに出かけました。

山を走ることはもちろん。

高校時代、自宅から琵琶湖まで自転車で走ったところを、
もう一度下道で走ってみたり。

牛久の知り合いの自宅まで行きつつ、
牛久沼でバス釣りしたりしましたね。

もちろん、釣れませんでしたけど。(笑)

またあるとき、思い立って「八郎潟でバスが釣れる」って事だったので、
行ってみようかなとGPSで調べたら片道12時間くらいかかるって出て、
流石に諦めたりとか。


仕事で東京に行っている時に、
客先へ車で行っていたのは私です。(爆)

だって、電車(青梅線)は止まるし、
京王線の終電は無くなるしでタクシー代払えなかったんだもん。(T-T)

当時、府中の自宅から羽村の客先まで車で通っていました。
あれはあれで面白かったなぁ~

週末には浜松の実家に下道で激走したりしました。

御殿場のR246で止まらなかった事が今考えれば奇跡に近いなと思います。

お陰様で、手放す時には、20万キロ手前まで元気に走ってくれたので、
本当に助かりました。

でも、ダイナモが駄目になりバッテリーが直ぐに上がるという致命傷をおって、
あえなく手放すことになったのです。

#完全にスクラップなんだろうな、きっと。(T-T)

本当にお疲れ様。
そして、ありがとう。

そう言ってEP71とお別れした事を今でも覚えています。


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