小室哲哉産業の終わり

もとお@SEAES

2008年11月04日 09:00



「Body Feel Exit」 この歌の時代を現した躍動が好きである。

一時期勢いがあったものが、やがて衰退し、その社会的一生を終える。

いかにも秋のニュースが朝からテレビや新聞を賑わす。
小室哲哉プロデューサー逮捕の報である。

じつは1958年の同年生まれの活躍は、羨みながらも「やるな」と認めていて、
未だに音楽の先頭を行く彼の成功譚に「あり、あり」とどんな優雅な生活を送
ろうとかまわないと思っていた。

そして突然の「DEPARTURES」となる。

出発であり、離反、変更であり逝去である。
今やヒットや現象は産業である。

才能ある誰かを核にした産業が一人の男を囲み、さまざまな産業を興して
時代をつくる。
一人だけでできるものではなく、そのスピードを生かしていかに産業を盛り
立てるかが時代の作られ方になっている。

つまりは、一人(カリスマ)+産業とする多数の企業=時代である。
カリスマを盛りたてるのは企業であり、ゆえにそこから起きる産業からの
多くの利益を企業が受ける。
カリスマが手にいれる金額などは企業が得るものの比ではない。

多くの自動車産業も同じように、一人のカリスマに多くの別の才能や産業
構造を作れるものがついて会社となり今に至る。
ただし、それは継続して産業として持続すべき社会的責任を持つ。

ところが音楽は、短い時代、もしくは年の産業である。

今年の売り上げを確保するにあたり企業が画策する企画である。
そこには時代が生まれたり文化が生まれたりするのだが、どの時代の音楽
も同じとおり、勃興しては衰退し、また一周めぐるまでは次のものにとって変
わられるものとなる。

小室哲哉さんは、振り返ると後ろに幾多いた企業がいなくなっていたのでは
ないか。
時代の産業とはスピードである。

スピードを緩めたところで、そのリズムに乗り遅れた彼は、また別のビートを
発するカリスマたちに乗り換えられていた。
産業は常にトップスピードの音楽についてゆくのである。

時代を牽引した機関車は後ろに引いて走った多くの企業の客車がどこかで
切り離されて別の機関車に連結されたことを気づかなかった。
一両一両とはずれていった産業の一つ一つが彼の石炭を供給していたこと
も気づかなかった。

ただ、それら産業が時代のカリスマ機関車を、何年か前の利益事業である
とし、今省みないというのは少々個人には酷である。

ひとつの産業のスピードが落ち、多くの企業が離反していったこと。

最後には一人となった彼は、じつは多くのプロジェクトに招いた企業たちが、
彼ではなく、金に群がっていただけであったことにいまさらに気づくのである。
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